”終活”
この言葉を聞いて高齢者の皆さんはどのような感想をお持ちになるでしょうか?
「身の回りの品をできるだけ整理しておくこと」と考える人もいるでしょう。
「自分の人生を本にして残しておくこと」と言う人もいるかもしれません。
また「遺言やお墓を準備しておく」「家族みんなで話し合いの場を設ける」
といったことを考え、残された遺族が揉めないよう準備しておくことが終活の本質だと主張する方もいらっしゃるでしょう。
終活とは一般的には「自らの人生の終わりに向けた活動」と説明され、今や日常的な言葉になりつつあります。
しかし言葉が独り歩きしすぎているように筆者は感じています。
終活することには何の意味があり、なぜ高齢者の皆さんはかくまで終活に必死になっているのでしょうか?
「遺族のため」の終活
終活というのは残された遺族のために行なうもの、という考えが一般的ですね。
遺族に迷惑を掛けたくない。
長年連れ添った伴侶や愛する子どもたちに、これからもずっと仲良くやってもらいたいという純粋な願い。
特に親が子に対して持つ無償の愛は確然たるものであり、子を愛するがゆえに終活をしっかりやっておこうという強い親心もあるでしょう。
どう転ぶか分からない事例
しかし遺族のために良かれと思ってやっていたことが反対の結果を招くという事態は大いに考えられるところです。
たとえば遺産を公平に残したいと思って遺書を書いてみたところで、すべての関係者がそれを公平だと納得することはまずありえないでしょう。
どんなに用意周到な準備をしても争続になる確率が0ということにはなりません。
良かれと思って遺産整理をしたものの、遺族にしてみればそれが大切な形見になっていたのに何故処分してしまったの?と思われるかもしれません。
また認知症になる前にいろいろ対策をしておこうと考えていたところで、そうなる前にある日突然ぽっくり逝ってしまうかもしれない。
むしろその可能性の方が高いなんてことはザラでしょう。
先のことがどう転ぶかなんて本人を含め誰にも分からないのです。
予想できない未来より目の前の一日を大切に
すべてが予測できてその通りに物事が運ぶなど、そもそもがありえない話だと考えておいた方がいいでしょう。
だからこそ人生は面白いのですよね?
だとすれば分からない先のことをあれこれ考えていても仕方ありません。
それよりも目の前のこと(まさしく今日というこの一日)を充実する方向に持っていくことに全力を尽くすべきではないでしょうか。
若者に比べて残された時間の少ない高齢者の方こそ、です。
食べたい料理をお腹いっぱい平らげ、夜は飲みたい酒を心ゆくまで楽しみ、明日は会いたいあの人に会いに行く…
そうやって、ささやかでもいいから楽しいひとときを過ごすことに全力を尽くす。
特別でも何でもないけどささやかに幸せな一日。
そんな一日一日を繰り返すことが、人生を終えるその瞬間に幸せだったと感じられるか否かを決定づけるものになるでしょう。
そしてご本人が幸せを感じながら逝かれるということが、残される家族の方々にとっても真に幸せなことではないでしょうか。
終活とはそういう意味を表す言葉であってほしいと筆者は願います。
まとめ
- 終活とは「自らの人生の終わりに向けた活動」のこと
- 遺族のために良かれと思ってやっていたことがその通りになるとは限らない
- 人生は短い。先のことよりも目の前の一日を楽しく過ごしましょう
編集後記
本稿では遺言は書かなくていい、身の回りの整理もしなくていい、などと言っているように読めます。
しかし筆者は税理士ですのであまりに無責任なことは言えません。
少しだけ修正しておきます f^_^;
遺族が揉めることのないよう、最低限のやるべきことはきちんとやっておきましょう!
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